2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

« K-20 怪人20面相・伝 | トップページ | 本日の買物 »

『夢でささやく者』第4回

本日はぶんげい会の年明け1回目で、『夢でささやく者』の第4回をプレイしました。

数の暴力と、アイテムの威力と、ダイスの天運には勝てないよ(笑)。
9人もいるとさすがに全員には手が回りきらず、戦闘自体が少ないので、やはりだらけたようで。
まさか、マインド・フレイヤーがマインド・ブラストも打てずに1ラウンド目の一発で逝ってしまうとは予想してなかったもんな。つД`)
いろいろとネタを仕込んでいたのになぁ。マインド・フレイヤー・バリヤーとか、マインド・フレイヤー・フリーズ・ヴォイスとか。

次のシナリオからは6人パーティ基準でクリーチャーを強化しよう。

« K-20 怪人20面相・伝 | トップページ | 本日の買物 »

D&D」カテゴリの記事

TRPG」カテゴリの記事

コメント

敵が弱すぎることもさることながら
あべさんにはもっとゲームのあり方自体を再検討してもらいたいなぁ・・・今のD&DはTRPGとゆうよりシュミレーションゲーム。ストーリーもあって無きが如し、特定の場所に行って特定の敵を倒すだけ。それも難敵を協力して倒す感じじゃなくて弱敵をなぶり殺しする掃討戦タイプのシュミレーションゲーム。なんとゆうか・・・エンターテインメント性が無さ過ぎてどうも・・・SLGが好きな人間はもちろんいるだろうけどTRPGがしたくて参加している僕などが面白いと思える要素が無さ過ぎるのです。二月に一回程度なら付き合いとして文句も無く参加していたけど何ヶ月も付き合わされてもう愛想もつきました。今回のシナリオも4回もかけてやるような内容じゃないと思います。結局意外性や爽快感も無く終わりラストの処理も適当だったし。
D&Dの戦闘が長引くのですから
雑魚戦は省略して戦闘回数はシナリオ全体で2回くらいに抑えてシナリオも最大二日程度で終わるように工夫して欲しいですねぇ。
帰り際に村山さんがもっと演技とかできるようにして欲しいと言っていましたがまったく同感です。D&Dにそうゆうのは求めないで欲しい。と返答されていましたが、そういわずに会話や演技の楽しさを追求していって欲しいものです。単に退屈なだけで無く、最近は属性の話題で不愉快な思いをすることも多くなったし、改善が見られないようなら「D&Dのときは帰る。」ほうが良いかと思うほどです。

そこまで深刻なのですか……。

シナリオ自体は公式シナリオを使用しているので、二日程度で終わらせられるかどうかは(省略できる部分はシナリオによって違うでしょうから)微妙ですが、努力しましょう。
開始時間が遅かったり(私含め遅刻者多いですから)、長考が続いたりする(「船頭多くして船山に登る」ケースや少ないルールブックをやり取りするケースなど)と、どうしようもない場合もありますが。
そもそもこのシナリオは3回で終わる(昨年中に終わる)と踏んでいたのですが、初回は前のシナリオを終わらせてレベルアップした後の残り時間だけでしたし、お昼過ぎるまで人数が揃わないこともあり延び延びになったという経緯もあったりします。
まぁ、そんな事を言っても言い訳にしかなりませんね。力量不足だったのは否めません。
なんにしても公式シナリオを使う限り、(会場の実質的な、そして参加者などの状況的な)時間の制約は厳しいので、かなり調整が必要でしょう。

会話とロールプレイについては、そうですね、延び延びになっていたのもあって、私自身が余裕を無くしていたと思います。とにかく時間内に終わらせたい、今日で終わらせたい、と。
ただでさえ演技的ロールプレイに重点をおかない(苦手意識すらあります)ので、もうちょっとなんとかしたいとは思います。

属性について揉めるのは、理解度の差だと思っています。
「属性自体はキャラの行動指針であり性格ではない」「同じ属性でも(種族、クラス、信仰や状況などで)実行動は違う」と理解しているかどうか、かと。
“秩序にして善”の中には、過激なのもいれば温厚な人もいるのです。
それを解ってないと揉めるのです。「~の属性はこうでないと!」なんて風に。
データ的に極論を言えば、属性はキャラのオーラのカテゴリーと受け取れます。だから、「プロテクション・フロム・~」でボーナスやペナルティが与えられるわけです。
こういうことは、プレイヤーズ・ハンドブックを読めば書いてあることなんですけれどね。

属性の問題はもっと深刻ですよ。
あべさんのおっしゃっていることはみんなわかっている
と思います。それよりも足りないのはプレイヤーに相手のキャラクターの属性に配慮して行動する気が無いことでしょう。自分の思いどおりにならないと気がすまないひとが何人かいますから。
秩序側の人間が法的根拠も無く物的証拠も足り無く動けない
中立の人間が依頼も報酬も(まだ)無く動きたくない状況で
混沌の善がそれらのPCの考えを無視して自分勝手に悪に突っ込む。
とかね。
他のゲームに比べ、属性の設定が仲間の都合を考えない行動を助長していると思います。

あと秩序側としては法律の問題も深刻
その国では何が法律として決まっているのか
ちゃんと明文化してくれないと何を規範にしていいかわからない。

秩序とか混沌とか決めるくらいなら
冒険において発生しそうな法的問題の判例集くらいは
エクスパンションとしてそもそも出しておくべきだよな~と。

それが無理ならDMは司法書士の資格なんかを取って法律の専門家としての見地からファンタジー世界観に当てはめてその都度判断して欲しい。

そうでなければ法なんて大局的見地に立ってないDMのその場限りの価値観や善悪観に過ぎないよな~と思います。

これらの問題が解決されない限りD&Dはくそゲー認定だよな・・・とほぼ毎日思っています。
D&D世界にも信頼できる冒険者の店のような依頼仲介人がいれば属性問題の大半は解決するような気もするんですけどね・・・
(解決するとゆうより発生しづらくなると思う。)

あと下策ですが・・・DM権限でPC全員同じ属性にするか。PCとしては嫌ですが。

何度も書きますが、プレイヤーズ・ハンドブックを読んでいれば、「秩序=法律」という単純な図式は発生しないと思うんですけれど。


「“秩序”とは名誉、信義、権威に対する服従、信頼性を意味する。悪い方に転べば、偏狭、旧弊の墨守、独断、融通のきかなさなどを意味する。」
「“混沌”とは自由、融通、柔軟を意味する。悪い方に転べば、無分別、正当な権威に対する軽蔑、勝手なふるまい、無責任などを意味する。」
「秩序と混沌の間で中立である人々は、権威には一応の敬意を抱いており、特にこれに従おう、または叛こうという衝動はない。元来誠実ではあるが、時として人に嘘をつき欺こうという思いのきざすこともある。」
(すべてPHB102より)


「権威=法律」と見るなら、あるかもしれませんが。
それでも“秩序”と“混沌”がまったく相容れないものではないのです。“混沌にして善”は法を否定するものではなく、善を為すために法を破る“場合がある“だけなのです。


属性が対立構造になるのは、まぁ、確かに他キャラへの配慮が足りないのかもしれませんね。他所でプレイしてもそんな事が起きた例がないですし。
拘りすぎて、説得/納得と譲歩ができてないとは思います。

う~んさっぱりわかりません。
引用された文を読む限り秩序の人間は
なるべくその街や国の法を尊重して行動するんじゃないでしょうか?独自の理念や信念を行動方針にする「オレが秩序だ!」的キャラクターで無い限りは。
悪を見つけたとしてもまずその国の法治機関を信用して
協力しようと考えるのでは?
「“混沌にして善”は法を否定するものではなく、善を為すために法を破る“場合がある」ならば
そのときの秩序の人間の行動はどうなります?

「“混沌にして善”は法を否定するものではなく、善を為すために法を破る“場合がある」時、“秩序”はどうするか。

その国や街の法律や、自身が信仰する戒律、所属する組織の命令に従って行動するでしょう。周囲に協調する事、もっと俗に言えば迎合する事も“秩序”の行動と言えます。
それから考えれば、“秩序(にして善)”のファイターとパラディンとウィザードとローグでは、それぞれ同じ行動を取るとは限らないと思います。
ファイターなら(ウィザードもローグも)、善を行うに躊躇いはなく、仲間と協力する事もやぶさかではない(ここら辺が“秩序”)、というように。
パラディンなら、(ロールプレイ的に)相当に悩むでしょう。神格によっては難しいかもしれませんが、例えばペイロア(“中立にして善“)のパラディンであれば、「助けを求める者を助ける」という行動理念において法を破る事も考えられますね。“秩序にして善”としては悩みどころでしょうが、“秩序”側が“善”を乱している場合はその限りではない、とも考えられます。ましてや、信仰している神格が“秩序”ではありませんから、そのパラディンも“秩序”より“善”を優先する事もあるでしょう。
逆に、聖カスバート(“秩序にして中立”法を犯した者に厳罰を下す神格)のパラディンなら、法を破ろうとしている“混沌にして善”を諌める、という行動になるでしょう。
このように、同じ“秩序にして善”のパラディンでも取る行動が違ってきます。もちろん、これとて絶対ではなく、プレイヤーによっても違うでしょう。
また、“混沌にして善”のキャラクターとペイロアのパラディンのように、表面上は同じ行動でもそこに至る経緯が違う事があり得ます。“混沌にして善”はただ悪を討つ事を目的にしているが、“秩序にして善”はより大きな秩序を回復するために“混沌にして善”とともに法を破る、などというように。
だからこそ、“秩序にして善”が「法律を遵守する事」だけの属性だというのは短絡だ、というのです。
そもそも、こういう事を考えるのもロールプレイの一環だと思うのですが、どうでしょう?

ついでに言えば、規則や法律を作る側が“秩序”だとも限りません。もちろん“秩序”が多いですが、有効だと思えば(“善”でも“悪”でも)“混沌”も道具としてそれらを用いますから。


“秩序”そのものは、口約束のミクロなところから、宇宙の法則的なマクロなところまで、ありとあらゆるものを指しているものですから、どこを重要視するかはキャラクターのクラス次第のところもありますし(特に上級クラスは)、もちろん種族によっても違うでしょうし、キャラクターの性格次第でもあるでしょう。
まぁ、こういう事はサプリ(『高貴なる行いの書』(善本)や『不浄なる暗黒の書』(悪本)、種族シリーズ、大全シリーズ)で説明されているのですけれど。

ちなみに、独自の理念や信念が自分の外からもたらされ(信仰とか組織とか)であれば“秩序”でしょうけれど、そうでない(キャラクターの過去や経験からの発露)のであればそれは“混沌”でしょう。
ただ、それらの理念や信念が“秩序”と一致していれば“混沌”もそれらしくふるまえるでしょうし、その逆だって有りうるでしょう。


かように、属性そのものは9つだけですが、他の要素(種族、クラス、信仰など)を加えれば多種多様であり、一つの属性でもとても多面的です。
そういう事を考え、パーティ内での意見を交らせながら、パーティとして一つの方向に向かうのが面白いんだと思っているですけど、今はそれだけじゃ足りないんでしょうねぇ。

う~んこりゃ駄目だ

(なんだか秩序って混沌としすぎて何でもありって感じですねぇ・・・それはともかく)

より大きな秩序を回復するために“混沌にして善”とともに法を破る、状況なら何も問題はないでしょう。

そんなことより
いつも揉めるのは逆の状況、
より大きな秩序を乱すからこそ“混沌にして善”とともに法を破るわけにはいかない、
とゆう状況が発生することです。

具体的に起こり易いのは何の権限も無いのに悪人を勝手に処断することですね。

そもそも
法を破らずに善を成せる余地が十分あるのに
目の前に悪が現れると看過できずに
法なんて気にせず襲い掛かるのがぶんげい会の混沌の善ですから。

そしてパーティーの意見が合わない場合
混沌の善は混沌の善の性に従って
勝手に行動を始めちゃいますからね・・・

秩序が混沌の善の行動にストレスが溜まる
ばっかりのゲームでは秩序なんてやってられません

パラディンではありませんが秩序の中立である
自分のキャラクター的には聖カスバート的な行動を
とっているので間違ってはいないんですが
その結果うざいとか言われる始末ですよ・・・

秩序側が妥協するばかりのゲームでは
困るんですけどねぇ
むしろ妥協しやすいのは属性的に(字面的にかも)混沌のほうであるべきかと。

「“混沌にして善”は法を否定するものではなく、善を為すために法を破る“場合がある」

では無く

「“混沌にして善”は法を否定するものではなく、善を為すために法に従う“場合がある」

と書き換えたほうがわかりやすかったんじゃないかなぁ・・・

妥協しやすいというか、“善”を為すのにメリットも何もないのにわざわざ法に刃向ったり、協力も協調もしない“混沌にして善”は、判断力のない愚か者か、よほど自分の能力に自信がある者(能力と自信が釣り合っているかどうかは別)だけでしょうね。

だからこそ、“善”そのものに重きを置く“混沌にして善”でも普段は法を守り、約束も反故にせず(“秩序にして善”に比べれば多少緩めに考えているかもしれませんが。5分の遅刻が多かったりとか)、協力も協調もするでしょう。それは一見“秩序”に見えなくもないし、法に従っているようにも取れるでしょう。

「“混沌にして善”は法を否定するものではなく、善を為すために法に従う“場合がある”」ですと、じゃあ普段は法を破っているのか、悪法でも何でもない決め事に従わないのは“善”の行いなのかというと、それは「ノー」だと思います。それは“混沌にして悪”じゃないかと。
もちろん、普段から法を破っている事もあるでしょう。現代日本で言えば、二十歳前にタバコを吸い酒を飲む、みたいな。法律上は“悪”(法律的には“悪意”)ですが、周囲が許容していたら“悪”とは見なされず、本人も“悪”だと意識していないでしょう。こういうところは“秩序にして善”とは相容れないかもしれません。

「“混沌にして善”は法を否定するものではなく、善を為すために法を破る“場合がある”」と書きましたし、必要であれば法を破り協調を乱すこともあるでしょうが、最終的に“善”を為せるのならば(内心はいけ好かないと思っているかもしれない)“秩序にして善”と協力することもできるでしょう。それが最善と考えるならば。
それが“混沌にして善”でしょう。

だから、歩み寄るのは“秩序にして善”だけではなく、“混沌にして善”にも当てはまります。
これは他の属性でも言える事です。“真なる中立”は立場的にも行動的にも、どちらにも付けますが、その内心は全然別の事を考えているかもしれません。傲岸不遜に「自分が協力してやらないと、こいつらは何もできない」なんて事を思っていたりするかも。
ああ、でも、“悪”は無理か。通常は。

再三書きますが、これら妥協点や行動、理由、目的はクラスや種族、信仰などによっても変わります。
同じ“混沌にして善”でも違う行動をとるでしょうし、同じ行動でもその理由は違うでしょう。“秩序にして善”のキャラクターと同じように。

だからこそ、プレイヤー同士のすり合わせが必要だったり、キャラクターが納得するような理由をプレイヤーが考えたり、キャラクター同士が説得したり、というロールプレイあるいはコミュニケーションが生まれると思うのですが。
血液型占いみたいにかっちり分類したくなるのが人情なのかもしれませんが、属性はキャラクターの行動指針にすぎず、行動そのものは属性と違うこともありますし、属性そのものも流動的(行動やテンプレによって属性が変わる(変えられる)こともあります)なので、前にも書きましたが、そういうのを含めキャラクターの性格を考えるのがプレイヤーの楽しみの一つなんじゃないかと思うのです。

属性はロールプレイの一要素で、属性に縛られすぎたらイカンと思うのです。
まぁ、それすらもキャラクターの性格や他の要素によっては絶対じゃなかったりするわけですけれど。

う~ん
判例的な話ばかりであんまり参考にならないような・・・

少なくともぶんげい会の“混沌にして善”は積極的に法に刃向かっているように見えるし
出てくる敵や問題は“混沌にして善”だけで倒せてしまうし解決できてしまうようなのばかりなんですけど。
もっとシナリオの難度をギリギリまで上げれば皆協力せざるおえないですけどね。
シナリオが甘甘だから“混沌にして善”が好き勝手できてしまうんですよ・・・おっと、話が一番最初に戻りましたね!

もうちょっとお付き合いください。

あらためて法に関してですが
文面を読んでいるとDM自信が法を軽んじている気がするんですよ。
これではDMが法を無視することを推奨しているようにも思えてくるなぁ

秩序の善が信仰や信義を秩序の行動基準にする場合は、法律なんて無視していいというわけではないんでしょう?
普通は両立できると考えるんじゃないかな。
そして社会的には両立を強制され無ければおかしいと思う。
それともこの世界の人間は国家や街の法なんて屁とも思ってないヤツばかりなんでしょうか?

もしそうなら為政者にとって冒険者って撲滅の対象になりそうですよ。

信仰にもとづいて法を無視する行為にためらいが無いとしても
国や街の秩序を尊重するなら
コトが解決した後で法を無視したことに対する罰なりを法治機関に受けに行く。
また一緒に行動した混沌にして善も「善の行いは善の行い、罪は罪」として告発する。
のが良識的な秩序な行動。
とゆうか僕の秩序の妥協点ですね。

たとえ秩序の善のパラディンだとしても聖属性の特赦な力を持つ戦士なだけで
メンタル面では別に聖人君子ではないので
そんなことはしないんだとしても

なんらかの社会的なペナルティは発生すべきだと思います。お尋ね者になるとか。
もちろん発生しない状況もあるでしょうが。

そういうところでDMの法観念に疑問を感じるんですよねぇ
D&D世界に法治国家って存在するんですか?

信仰(や属性)と法の落としどころがいまいち釈然としないのはデザイナー側に責任があるんでしょうか・・・

全般的にいえるんですが世界観、世界設定に関して
プレイヤーとしていまだに漠然としているところがありますね。それが落ち着かないところです。

長々とありがとうございました。
明日は初心者の方がくるかもしれないし
まあ無難に頑張りましょう!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« K-20 怪人20面相・伝 | トップページ | 本日の買物 »

TRPG